歌詞についてその4
今日もblancです。
今回は女子力通信。さん主催のコンピレーションアルバム
「espr.a.buzz!」に出したゆゆこ曲、ルーツオブアフターライフについて書いていきます。
途中まで書いてた記事がページ更新ミスって全部消えて心が折れそうですが書いていきます。
歌詞↓
今日も外は一面の白で
あの子の髪のようにさらさら
暦にはもう春が来たのに
友達はまだ眠ったまま
こたつでみかんも悪くないけれど
ひとりでいるのもそろそろ飽きてきたから
雪の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
ハジマリを迎えにゆきましょう
この手で抱き寄せる新しい春を
通りすがりの妖精たちを
お招きするわ私の家に
春の花は開く時を待つ
見惚れる者の集う季(とき)を
垂水(たるみ)のさわらび 笑いかけるよに
芽吹いて 緩びて 始まる 私の季節
赤い菊の盃に
揺蕩うは花欠片
ハジマリをこの身に浴びましょう
死しとし死せるものへ微笑む春を
春に目覚め 夏に灼かれ
秋を抱き 冬と踊った
この身体も この魂も 真っ白なまま
時は流れど 刻は止まり
永遠に巡り 永遠に外れて
ただ妖仰ぐ
花舞う日は思い出す
ハジマリのあの記憶
たけなわに静かに目を閉じて
うたうの
冬の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
ハジマリを迎えにゆきましょう
私を抱きしめた特別な春を
↑ここまで
この歌詞、今までで一番短時間でできました。
曲きいてから3時間ちょっとで完成しました。
でも完成度は過去最高だと思っています。最高傑作です。
嫁キャラなので当然といえば当然です。
コンセプトとしては、春がくるの待ちきれないから自分で春集めに行くアクティブゆゆこ、といった感じです。
さらっと聞くと春集めて春がきた、という歌詞ですが、わりとたくさんいろいろと意味込めてます。
まず、ゆゆこの歌詞ということで、和歌の引用をしています。
雪の色はいたづらに~、と
垂水のさわらび~、の2つです。
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
石走る 垂水の上の さわらびの
萌え出づる春に なりにけるかも
これが元の歌ですね。いたづらは誤字じゃないんやで。
もちろんそのままだと音数があわないのでいろいろといじっています。
別にゆゆこの美しさが衰えてしまったなあとかそういう意味ではないです。
そもそも死んでるから年とらんし関係ない。
花の色は、だとすでに春なので雪の色に変え、
いたづらに、では元の意味的にはむなしく、語感的にはいたずら心で、という意味をもたせています。
雪の色も私のきまぐれでむなしく変わってしまうのよ、という雰囲気です。
垂水のさわらびは春感だしたかっただけなので特に深い意味はないです。
雪の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
この歌詞をみて、「雪が融けて桜が咲いた」という意味だと思った人は多いと思います。
もちろん普通はそれが正しいのですが、今回この歌詞に限って言えば、
雪の上に血が飛び散っている、という意味が正解です。
妖々夢をプレイした方はご存知の通り、春を集める際には道中の雑魚を倒し、桜点を拾う必要があります。
ボス相手など例外はありますが、基本は妖精を倒して春を集めます。
つまり、この曲におけるゆゆこは、
春を集めるために、目についた妖精をかたっぱしから殺してまわっています。
2番の歌いだしに
通りすがりの妖精たちを
お招きするわ私の家に
とありますが、これは白玉楼=冥界に招く、つまりは殺しているという意味です。
ゆゆこ的には罪悪感はなく、春を集めるついでにお花見に招待し、その際に殺して冥界に入れるようにしてあげている、という設定です。
殺された妖精の血で雪が薄紅に染まっている、という歌詞です。
自分の中のゆゆこ像として、ゆゆこは、生と死は等価値である、と考えている子です。
肉体と魂の在りかが違うだけ、本質的には何も失われていないしむしろ死後のほうが自由。
白玉楼のお花見に参加できるのに、死ぬことをためらう必要があるの?みたいな。
なので妖精を殺す際も、こっちは春を集められて、そっちはお花見できてwin-winくらいの気持ちでやっています。
順調に春は集まって、垂水のさわらびも緩びてきました。
この「緩びて」は、さわらびの葉が成長して開きはじめる、という意味の他に、
古語的に、寒さがゆるんでいく、という意味でもあります。
ゆゆこの季節が始まり、お花見スタートです。
赤い菊の盃 は花札が元ネタです。
菊に盃と桜に幕で花見で一杯の完成です。
なので別に盃に菊の花があしらってあるとかいう意味ではないです。
あしらってあってもそれはそれでいいとは思います。
その後の 死しとし死せるもの というフレーズは語感重視なので深い意味はないです。
生きとし生けるもの の亡霊バージョンくらいに考えてもらえれば。
なにせ白玉楼の花見は霊がほとんどだからね。
さて、曲も後半にさしかかりましたが、ここからの展開、個人的にかなり気に入ってます。
春に目覚め 夏に灼かれ
秋を抱き 冬と踊った
この身体も この魂も 真っ白なまま
時は流れど 刻は止まり
永遠に巡り 永遠に外れて
ただ妖仰ぐ
少し雰囲気の変わったこの箇所ですが、この部分にゆゆこのルーツがあります。
ゆゆこには生前の記憶がありません。
命を奪う力を疎ましく思い、自殺した彼女は、亡霊として目覚めました。
記憶もなく、自分が何者かも、何故ここにいるのかもわからない、真っ白なまま。
春夏秋冬を幾度も繰り返し、いくら時間は流れても、その身体に流れる時間は止まったまま。
輪廻転生という永遠の輪から外れた存在として、成仏することなく永遠に現世を巡ることになります。
そのことに気づいた彼女は、ただ茫然と、西行妖を見上げるのでした。
と、解説するとこんな歌詞です。
そして、ただ妖仰ぐ、というのは、単に桜を見上げたという意味ではなく、
濃厚なゆかゆゆです。
記憶がない、自分が誰かも、ここがどこかもわからない、という状態のゆゆこを見かねて、紫が彼女の前にやってきます。
ここは幻想郷で、自分は西行寺幽々子で、自殺して亡霊になっていて、と、現状を説明してもらいます。
さらには生前からあなたのことを知っていると知らされます。
となったらさ、もう生前の自分の事知っているであろう目の前の妖怪に頼るしかないよね。
ただ妖の協力を仰ぐ他ないよね。そういう歌詞ね、これ。
だから何も知らないわからないゆゆこはしばらくの間紫にべったりだったと思うし紫は紫で生前からの友達だからって柄にもなく本気で世話して面倒見て甘やかしたりするよね。そういうことだよね。
紫は友達が困ってたら助けるタイプだしね。
どうでもいいものは雑に扱うけど大事なものはとことん大事にするからね。
記憶がない、ということは、目覚めた瞬間がゆゆこの新しい生(死)のスタートなわけです。
目覚めた瞬間には桜が咲いていたわけです。
だからゆゆこにとってのハジマリの季節は春だし、ゆゆこの季節も春なわけです。
そんでそのハジマリは全部紫とともにあったわけです。
春が来ると思ってたのにまだ雪降ってるわけです。
友達はまだ眠ったままなわけです。
冬に耐え兼ねて好きな季節に好きな人に会うために春を集めに行くんだよ。
ハジマリの季節と自分のハジマリを支えてくれた人を迎えに行くんだよ。
そのためなら妖精の100や200は殺してまわれるんだよ。
ルーツオブアフターライフはゆかゆゆ。
このことを今日私は伝えたかった。
で、宴もたけなわで盛り上がってる中、ゆゆこは遅い春の訪れに、去年と同じくハジマリの日を思い返します。
自分を抱きしめたハジマリの春の暖かさと、暖かく抱きしめてくれた特別な人を。
とまあこういう流れですね。
ゆかゆゆは、いいぞ。
ちなみに、 うたうの と言っているので一応一首考えてあります。
静かに目を閉じて、一首詠んだという設定です。
冬の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世を去る ながめせしひに
冬の季節は、(私の手で)むなしくも移ろってしまった、
私がこの世を去った、長雨のように花びらの降る季節に
くらいの意味でしょうか。元の歌は小野小町によるものです。
和歌は詳しくないので文法的にはいろいろと間違いもあるかもしれませんが、雰囲気重視だしそもそも歌詞には反映してないしセーフ。
という感じで、わりとてんこもりな歌詞ですよ、という話でした。
我ながらよく3時間ちょっとでこれ書いたわ。
歌い方とかもこの意味を意識してるから、これ読みながらまた聞いてや。
ゆかゆゆは、いいぞ。
今回は女子力通信。さん主催のコンピレーションアルバム
「espr.a.buzz!」に出したゆゆこ曲、ルーツオブアフターライフについて書いていきます。
途中まで書いてた記事がページ更新ミスって全部消えて心が折れそうですが書いていきます。
歌詞↓
今日も外は一面の白で
あの子の髪のようにさらさら
暦にはもう春が来たのに
友達はまだ眠ったまま
こたつでみかんも悪くないけれど
ひとりでいるのもそろそろ飽きてきたから
雪の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
ハジマリを迎えにゆきましょう
この手で抱き寄せる新しい春を
通りすがりの妖精たちを
お招きするわ私の家に
春の花は開く時を待つ
見惚れる者の集う季(とき)を
垂水(たるみ)のさわらび 笑いかけるよに
芽吹いて 緩びて 始まる 私の季節
赤い菊の盃に
揺蕩うは花欠片
ハジマリをこの身に浴びましょう
死しとし死せるものへ微笑む春を
春に目覚め 夏に灼かれ
秋を抱き 冬と踊った
この身体も この魂も 真っ白なまま
時は流れど 刻は止まり
永遠に巡り 永遠に外れて
ただ妖仰ぐ
花舞う日は思い出す
ハジマリのあの記憶
たけなわに静かに目を閉じて
うたうの
冬の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
ハジマリを迎えにゆきましょう
私を抱きしめた特別な春を
↑ここまで
この歌詞、今までで一番短時間でできました。
曲きいてから3時間ちょっとで完成しました。
でも完成度は過去最高だと思っています。最高傑作です。
嫁キャラなので当然といえば当然です。
コンセプトとしては、春がくるの待ちきれないから自分で春集めに行くアクティブゆゆこ、といった感じです。
さらっと聞くと春集めて春がきた、という歌詞ですが、わりとたくさんいろいろと意味込めてます。
まず、ゆゆこの歌詞ということで、和歌の引用をしています。
雪の色はいたづらに~、と
垂水のさわらび~、の2つです。
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
石走る 垂水の上の さわらびの
萌え出づる春に なりにけるかも
これが元の歌ですね。いたづらは誤字じゃないんやで。
もちろんそのままだと音数があわないのでいろいろといじっています。
別にゆゆこの美しさが衰えてしまったなあとかそういう意味ではないです。
そもそも死んでるから年とらんし関係ない。
花の色は、だとすでに春なので雪の色に変え、
いたづらに、では元の意味的にはむなしく、語感的にはいたずら心で、という意味をもたせています。
雪の色も私のきまぐれでむなしく変わってしまうのよ、という雰囲気です。
垂水のさわらびは春感だしたかっただけなので特に深い意味はないです。
雪の色はいたづらに
薄紅に染め上げる
この歌詞をみて、「雪が融けて桜が咲いた」という意味だと思った人は多いと思います。
もちろん普通はそれが正しいのですが、今回この歌詞に限って言えば、
雪の上に血が飛び散っている、という意味が正解です。
妖々夢をプレイした方はご存知の通り、春を集める際には道中の雑魚を倒し、桜点を拾う必要があります。
ボス相手など例外はありますが、基本は妖精を倒して春を集めます。
つまり、この曲におけるゆゆこは、
春を集めるために、目についた妖精をかたっぱしから殺してまわっています。
2番の歌いだしに
通りすがりの妖精たちを
お招きするわ私の家に
とありますが、これは白玉楼=冥界に招く、つまりは殺しているという意味です。
ゆゆこ的には罪悪感はなく、春を集めるついでにお花見に招待し、その際に殺して冥界に入れるようにしてあげている、という設定です。
殺された妖精の血で雪が薄紅に染まっている、という歌詞です。
自分の中のゆゆこ像として、ゆゆこは、生と死は等価値である、と考えている子です。
肉体と魂の在りかが違うだけ、本質的には何も失われていないしむしろ死後のほうが自由。
白玉楼のお花見に参加できるのに、死ぬことをためらう必要があるの?みたいな。
なので妖精を殺す際も、こっちは春を集められて、そっちはお花見できてwin-winくらいの気持ちでやっています。
順調に春は集まって、垂水のさわらびも緩びてきました。
この「緩びて」は、さわらびの葉が成長して開きはじめる、という意味の他に、
古語的に、寒さがゆるんでいく、という意味でもあります。
ゆゆこの季節が始まり、お花見スタートです。
赤い菊の盃 は花札が元ネタです。
菊に盃と桜に幕で花見で一杯の完成です。
なので別に盃に菊の花があしらってあるとかいう意味ではないです。
あしらってあってもそれはそれでいいとは思います。
その後の 死しとし死せるもの というフレーズは語感重視なので深い意味はないです。
生きとし生けるもの の亡霊バージョンくらいに考えてもらえれば。
なにせ白玉楼の花見は霊がほとんどだからね。
さて、曲も後半にさしかかりましたが、ここからの展開、個人的にかなり気に入ってます。
春に目覚め 夏に灼かれ
秋を抱き 冬と踊った
この身体も この魂も 真っ白なまま
時は流れど 刻は止まり
永遠に巡り 永遠に外れて
ただ妖仰ぐ
少し雰囲気の変わったこの箇所ですが、この部分にゆゆこのルーツがあります。
ゆゆこには生前の記憶がありません。
命を奪う力を疎ましく思い、自殺した彼女は、亡霊として目覚めました。
記憶もなく、自分が何者かも、何故ここにいるのかもわからない、真っ白なまま。
春夏秋冬を幾度も繰り返し、いくら時間は流れても、その身体に流れる時間は止まったまま。
輪廻転生という永遠の輪から外れた存在として、成仏することなく永遠に現世を巡ることになります。
そのことに気づいた彼女は、ただ茫然と、西行妖を見上げるのでした。
と、解説するとこんな歌詞です。
そして、ただ妖仰ぐ、というのは、単に桜を見上げたという意味ではなく、
濃厚なゆかゆゆです。
記憶がない、自分が誰かも、ここがどこかもわからない、という状態のゆゆこを見かねて、紫が彼女の前にやってきます。
ここは幻想郷で、自分は西行寺幽々子で、自殺して亡霊になっていて、と、現状を説明してもらいます。
さらには生前からあなたのことを知っていると知らされます。
となったらさ、もう生前の自分の事知っているであろう目の前の妖怪に頼るしかないよね。
ただ妖の協力を仰ぐ他ないよね。そういう歌詞ね、これ。
だから何も知らないわからないゆゆこはしばらくの間紫にべったりだったと思うし紫は紫で生前からの友達だからって柄にもなく本気で世話して面倒見て甘やかしたりするよね。そういうことだよね。
紫は友達が困ってたら助けるタイプだしね。
どうでもいいものは雑に扱うけど大事なものはとことん大事にするからね。
記憶がない、ということは、目覚めた瞬間がゆゆこの新しい生(死)のスタートなわけです。
目覚めた瞬間には桜が咲いていたわけです。
だからゆゆこにとってのハジマリの季節は春だし、ゆゆこの季節も春なわけです。
そんでそのハジマリは全部紫とともにあったわけです。
春が来ると思ってたのにまだ雪降ってるわけです。
友達はまだ眠ったままなわけです。
冬に耐え兼ねて好きな季節に好きな人に会うために春を集めに行くんだよ。
ハジマリの季節と自分のハジマリを支えてくれた人を迎えに行くんだよ。
そのためなら妖精の100や200は殺してまわれるんだよ。
ルーツオブアフターライフはゆかゆゆ。
このことを今日私は伝えたかった。
で、宴もたけなわで盛り上がってる中、ゆゆこは遅い春の訪れに、去年と同じくハジマリの日を思い返します。
自分を抱きしめたハジマリの春の暖かさと、暖かく抱きしめてくれた特別な人を。
とまあこういう流れですね。
ゆかゆゆは、いいぞ。
ちなみに、 うたうの と言っているので一応一首考えてあります。
静かに目を閉じて、一首詠んだという設定です。
冬の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世を去る ながめせしひに
冬の季節は、(私の手で)むなしくも移ろってしまった、
私がこの世を去った、長雨のように花びらの降る季節に
くらいの意味でしょうか。元の歌は小野小町によるものです。
和歌は詳しくないので文法的にはいろいろと間違いもあるかもしれませんが、雰囲気重視だしそもそも歌詞には反映してないしセーフ。
という感じで、わりとてんこもりな歌詞ですよ、という話でした。
我ながらよく3時間ちょっとでこれ書いたわ。
歌い方とかもこの意味を意識してるから、これ読みながらまた聞いてや。
ゆかゆゆは、いいぞ。
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